「ブリコラージュ」とは“寄せ集めて自分で作る”の意。初心者であっても囲碁を通じて考えることが色々ある。その考えをここに綴り、自分が囲碁とどのように関わっていこうとしているのか眺めていきたい。 そんなIkenagaが「ブリコラージュな囲碁(ブリ碁)」を目指す過程の記録。

カスタマイズ

定石を並べるのに本を片手に・・・というのは、やりづらい。
 
そもそもIkenagaは両手で石を並べているから・・・ということもある。
(右手は黒、左手は白のように分ける。一色定石では頭の中での色の違いを意味する)
 
だから、指でページを押さえていなければならない、本の形をした資料は利用したくない。
 

布石と定石の一体感

基本的なことだと思うが 「こういう風に布石を」 と考えたら、ほぼ並行して 「こういう風な定石を」 という選択の機会がある。
 
思うに、布石だけや定石だけを偏って勉強していても、何かが不足している、という感じは否めない。
 
やはり、すべての行動が連携し “一体感” が持てるように、形を勉強もできなければいけない。
 
偏った勉強をしてても、いつか、それらが繋がりだすようになる。
 

一石二鳥の一色定石

暇な時間を使って、定石を並べるようにしている。
 
使っている定石の本は 『新・早わかり 星定石小事典』。
 
本に書いてある解説は特に読まず、基本的な定石を選んで、とにかく手順通りに並べるだけを繰り返す。
ついでに、並べる際は「一色碁」ならぬ「一色定石」にしている。
 
ネットを検索してみて、「一色碁によるトレーニング効果はそれなりにあるらしい」 という気がしている。
 

一色碁

まだ囲碁サロン燦々の囲碁教室に参加できていない。

ぼちぼち囲碁のリハビリをやってはいるが指導碁を受ける自信がない。
正確には、指導碁を受けてもその内容をきちんと吸収できる自信がない。

ということで、6月4日(土)は参加している碁会(池袋)に出向いた。

そこでは、のんびりと打っていたが、ふと

「一色碁を打ちたい!」

と思い立ち、相手にお願いして途中まで一色碁で打ってみた。

石との一体感

忙しい時期を脱した。
こういう時、大抵の場合、それまでを振り返り、何かを得ようとする。

そんな中『脳の中の身体地図』という本にたどり着いた。

そこには「ボディ・スキーマ」についての記述があった。ボディ・スキーマとは、たとえば、帽子をかぶったら、その人は帽子を自分の体の一部と認識してしまう、というものだ。

「石の気持ち」という話

随分前にも同じことを書いたが「石の気持ち」が、まだ分からない。
いずれわかるようになるのかどうかも分からない。

そもそも置いた石との一体感がない。
なのに、石の気持ちが分かるはずもない。

有意味か無意味か分からないが、まずは石と一体になることを考えてみようと思う。

と自分で書いていて「危ない世界に入り込んでいる」気がしてきた。

随分・・・

丸三か月、ほぼ石を握っていない。
随分のあいだ、囲碁を休んでいた。

そろそろ時間ができそうなので再開したいと思っている。
しかし、三か月というブランクは大きい。

気持ちとしては初心者に戻っている。
また一からやり直すくらいのつもりでいる。

ただ、この三か月間、仕事で「学習する」ことを見つめなおす機会が数多くあった。

大変なことに・・・

今日は自宅で作業をしていて大地震に。
いくつかある本棚が倒壊しないように支えていが、めまいを起こしそうなほどの揺れ。

その後、停電と断水の中、部屋でじっとしていた。
つい先ほど停電と断水から回復。

テレビをつけてみて、すごい状況であったことを実感。
関東でも被害が大きく、自宅に帰れない人も数多くいる様子。

今でも外からは救急車のサイレンが聞こえてくる。

ちょっとお休み

喜ばしいことに、仕事が忙しくなってきた。
 
ただ仕事をこなすのではなく、よりよく仕事をするために工夫をする。

今は囲碁をする時間もその時間に割り当てたい。
 
ということで、囲碁はしばらくお休みに。

4月には少し時間ができそうなので、すぐに「囲碁復活」となるだろう。

手数を数える感覚

棋力が級位一桁であるだろうIkenagaの書くこととして読んで欲しい。
 
前にも書いたかもしれないが、以前は、「手数=ダメ」 だと思っていた。
しかし、今ではそうでないことがわかる。

たとえば、「ヘコミ」や「隅の特性」と言われる形が含まれている場合、ダメの数と手数は一致しない。
また、他の石との兼ね合いが出てくると、ダメだけを数えても殆ど意味がなくなる。

だから、「手数≠ダメ」である。

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