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石の意図

 電車での移動があったので、その薄さから日本棋院の『新ポケット 手筋200』を携帯していた。

 普段、『新ポケット 手筋200』では、「第1章 手筋との出会い(5~8級) 基本的な図で肩慣らし」を解くくらいだったのだが、しおりを挟み忘れていたため、どこから続けるのかわからなくなったので、適当にページを開いて解き始めた。

 すると 「なんだこりゃ~」 な問題にあたってしまった。
 
 

ヨミのチカラ

 9月26日(日)に放送された第58回NHK杯 二回戦第七局 張栩棋聖 対 藤井秀哉六段の対局。(NHK公開の棋譜情報

 この対局を観て、「中盤の戦いとは、こういうものなのか・・・」ということを思いしらされた。
 
 特に61手目をきっかけに始まった(ように感じた)左辺での攻防が凄まじかった。

布石の味わい

 五子局の指導碁やフリー対局を打つようになってから、不思議と布石のあり方が、以前よりもマシになってきている気がする。

 半年前であれば、互先で布石を打つとなると 「最初から不安な状態」 になっていたし、布石が終わる前から、早々に戦いを始めていた。

手数の習慣

 未だに手数をきちんと数えない。 この点は囲碁を勉強し始めた頃と比べて、ほとんど成長していない。

 理想は 「その石群をみただけで手数が分かる」 という状態。

 碁に慣れると感覚的に手数がわかるのかもしれないが、現在のIkenagaは些細な手数も直感で認識できているのか、実に怪しい。

荒れた打ち方

 去年のちょうど今頃、渋谷の囲碁教室に通い始めて3ヶ月目に突入した頃。 自宅での囲碁の勉強方法を模索していた。 確かその頃だと思う。 牛窪義高 九段が著述した書籍 『碁の戦術』と『碁は戦略』を読み始めた。

 囲碁の基礎を学び始めると同時に、比較的高度な内容を独学し始めたことで、自分の碁が “背伸び” したものになっているのではないかと、その後 考えるようになった。

棋譜の記録方法

  指導碁はデジカメで撮影する時間的な余裕がある。しかし、対局のときにデジカメで撮影するとなると、大変そうだ。 対局が始まると余計なことは考えたくないから。

 とにかく自分の対局を棋譜に残して復習したいと考えた。

 デジカメも難しいなら、碁罫紙への記録も当然難しい。

文字を書くこと

 昔から、字を書くのがヘタだった。
社会人になってから学生時代より、字を書く機会が随分と減た。それは、よく言われるように、パソコンの普及が大きいが、パソコンを使った仕事に就いたこともさらに大きな要因だろう。

 最近、改めて「きちんとした字を書くにはどうすればいいのだろうか?」ということを考えてきた。そして、現段階でたどり着いたことは、以下のようなことだった。

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活かす生き方

 アイザック・ニュートンの言葉

 「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」

 自分が勉強をしているとき、好奇心からということはあるのだが、それと並行して「何かを活かす」ための方法を模索している。その何かとは、物であったり、人であったり、もちろん自分自身であったり。また人間は、それが先人の“知恵”であっても、活かす事も、そうでない事もできる。

生意気

 スポーツ選手の中に「ビッグマウス」の特徴を持つ人がいる。
ビッグマウスは“大ボラを吹く”ような意味合いになるのだろうか。でもそれが「有言実行」されたなら、それはホラではなくなる。しかし、その人が“生意気”な感じは否めない。

「読む」という状態

 「健康のために・・・」と思いつつ、体を動かすと、やはり体が疲れる。怠けたいという気持ちが湧いてくる。同様に頭を動かすと、頭が疲れるので、怠けたいという気持ちが湧いてくる。もちろん、頭を動かすとは「考える」ということ。