カテゴリー

石の音

 先日、自宅で定石をならべていて、使っている碁石にとても不満を感じてしまった。
 石といっても硬質ガラスなので、碁盤に置いても「カチャン」というような軽くて慌しい音がする。
 (ちなみに囲碁教室も同等の碁石。碁盤は二つ折り。)

 囲碁サロンに行くまでは自分の使っている石に不満を感じることはなかった。
 しかし、本物の石を置いたときのあの音は、なんとも しっとりとした響があって、とても心地よかった。

意識の力

 囲碁教室では、先生の講義の内容が、その日の最後にプリントになって配布される。今まで一応もらって帰りバインダにまとめてはいたが、復習することもなくそのままにしていた。

 その代わりではないが、先日「たまには定石でもならべてみようかな」と思い立ち、『新・早わかり 星定石小事典』を取り出して、石を並べていた。
 すると、いくつかの型を並べるうちに、急に講義のプリントが見たくなった。

土曜は囲碁の日

 午前中に囲碁教室があるせいか、土曜日はその流れで丸一日は囲碁のことを考えている。詰碁の勉強も大抵土曜日だけやっている。

 時間を細々とぶつ切りにされると、なんとなく腰が落ち着かないもの。
 逆に落ち着くと、その勢いが余って、ブログをたくさん書くことも、ときどきある。(たとえば今日とか)

 本来、趣味とは、こういうものなのだろうなぁ。

隣は何をする人ぞ

 不思議なことが無くなる事はなくて、その中でも、気に留めていられるものと、気に留めていられないものとがある。

 人は本来、帰納(きのう)的に物事を推測するようで、沢山の経験を積み、その中から規則性を見つけだしてくる。それも無意識に。
 だから、数多く経験すればそれだけ物事を推測できるようになる(らしい)。

 ここまで書いて自分が何を言いたいのだろうかと考えてみたら、こうだった。

ひとりダイアローグ

囲碁は、勉強すればするほど“選択肢が増える”というようなイメージがあった。
でもよくよく思い返すと勉強すればするほど、だんだんと選択肢が絞られていく。検討すべき手が減ってくる。

ふと、ここで疑問が過ぎる。

「このままだと碁を打つ手の可能性が小さくなるばかりでは?」

まぁ、それほど棋力があるわけではないので、そういう領域に達するまでには、まだまだ道のりは長いだろう。

一度は貫き通したい

 囲碁を学び始めた頃から徐々に「戦術や戦略よりも、いかに自分の意志を貫き通すか、が重要なんだ」と実感するようになってきた。

 試しに打った石だからといって、危険になったら「やっぱりダメか」とすぐに諦める心持ちや、隅の戦いで自信が無いからといって、すぐにそこを捨てようとするような気構えだったり・・・。そんな意志薄弱だと勝てる碁にも勝てはしない、とビギナーなりに思った。

碁盤の上の基準

入門のときは全てにおいて手探り状態だった。今は少しはその状態から脱しつつある(気がする)。

その手探り状態の時に思ったのは 「囲碁を打つときに大切な“基準”は何だろうか?」 ということだった。

教室の先生やアシスタントから「広すぎる」とか「狭すぎる」と言われ続けてきた。
ただ、そういった例えば「広さ」の判断基準が無い自分にどうやって、それを判断するというのだ?という気持ちだった。

「学ぶ」技術

過去に趣味として、興味の湧いたことには色々と挑戦してきたが、「訓練しよう」という意識を持ったのは、囲碁が初めてかもしれない。

趣味といえば「好きこそ物の上手なれ」で楽しめるものだと思っていた。(「下手の横好き」という言葉もあるが。)

空の形

手筋の問題集を解いていると、ときどき出てくる「石の下」という手筋。
ご存知でしょうが、「石の下」とは取り上げられた石の跡を利用する手筋(手段?)のこと。しかし、これを最初に知ったときは「おぉ、逆転の発想だ」と驚いた。

囲碁用語

午前中に書いていた文章が吹っ飛んだので、気分が晴れた夕方から新たな内容を書きはじめる・・・。

――――――――――
いまだに囲碁用語が覚えられない。
囲碁教室の先生は「囲碁の用語なんか最低限のものを覚えていればいい」と言っていたが、囲碁の本を読んだり、NHKの囲碁を観たりすると、どうしても分からない用語にぶつかる。