三島由紀夫 -葉隠と現代-

- 三島由紀夫が語る「葉隠と現代」- (印象的だったのでネットから引用)

武士は普段から武道の鍛錬を致しますが、なかなか生半のことでは戦場の華々しい死などというものは無くなってしまった。
その中で汚職もあれば社用族もあり、今で言えばアイビー族みたいなものが侍の間で出てきた時代でした。
その中で葉隠の著者は、いつでも武士というものは一か八かの選択の時には死ぬほうを先に選ばなければいけないということを口をすっぱくして説きましたけれども、著者自身は長生きをして畳の上で死んだのであります。
そういうふうに武士でもあっても結局死ぬチャンスがつかめないで、死ということを心の中に描きながら生きて行った。
-(中略)-
そういうことで仕事をやっています時に、なにか生の倦怠といいますか、ただ人間が自分の為だけに生きようということに卑しいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。
人間の生命というものは不思議なもので、自分の為だけに生きて自分の為だけに死ぬという程人間は強くないんです。と言うのは、人間というのはなにか理想なり、何かの為ということを考えているので、生きるのも自分の為だけに生きることにはすぐ飽きてしまう。すると死ぬのも何かの為ということが必ず出てくる。それが昔言われた大義というものです。そして大義の為に死ぬということが人間の最も華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。
しかし今は大義がない。これは民主主義の政治形態というものは大義なんていうものはいらない政治形態ですから当然なんですが、それでも心の中に自分を越える価値が認められなければ、生きていることすら無意味になるというような心理状態がないわけではない。

 関連URL: 「葉隠入門」 三島由紀夫の評論・随筆

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